2015年8月22日土曜日

「ジャングル・ブック」と『白オットセイ』

「ジャングル・ブック」と言えば、オオカミに育てられた少年モーグリが、仲間の動物たちに森の掟に従った生き方を教えてもらい、やがて宿敵シア・カーンと対決する物語だと思われる人が多いでしょう。

でも正確に言えば原作は違います。確かにその少年モーグリのお話が三編含まれていますが、それ以外にも独立したお話が四編含まれた、短編集なのです。そして独立した四編には、モーグリは出てこないどころか、“ジャングル”とは無関係なお話も含まれています。

とりわけ『白オットセイ(The White Seal)』は、人間によるオットセイ狩りを題材にした海洋冒険物語です。主人公はコチックという白いオットセイ。コチックは人間から殺戮され続ける仲間のオットセイたちを救おうと、孤軍奮闘するのです。

さてこの『白オットセイ』ですが、実はこれまでの 邦訳書では、なぜか『白アザラシ』と訳されていました。手元にある完訳書「学研世界名作シリーズ」でもそうですし、モーグリ物語選集のような本の解説にも、オリジナルの「ジャングル・ブック」を紹介する際に『白アザラシ』と書かれているのです。

しかし原作本文中には、ちゃんと“fur seal”と書かれています。つまりオットセイのことです。舞台となるセント・ポール島も、実際にオットセイが集まる場所として有名です。つまり明らかに誤訳であり、残念なことにそれがまかり通ってしまっているのです。

アザラシとオットセイは違います。アザラシはずんぐりしていて、上半身を起こすことができませんが、オットセイは後ろ足を左右に開いて歩くことができます。つまりコチックの陸上での活発な動きや、仲間たちとの大ケンカは、オットセイだからできることなのです。

さらにこのお話には「カイギュウ(The Sea Cow)」が出てくるのですが、これも現存しているカイギュウ類から、ジュゴンかマナティーのことだと思ってしまうと間違いです。物語中でも“幻のカイギュウ”として扱われていることから、1768年(以降)に絶滅した(人間によって絶滅させられた)ステラー・カイギュウのことだと思われるのです。

だからこそ“幻のカイギュウ”であり、絶滅の危機に瀕したコチックたちオットセイに奇跡をもたらしてくれることに、大きな説得力が生まれるのです。


このように、完訳&新訳することには、読みやすい現代語訳でお届けするということだけでなく、もう一度きちんと訳を洗い直すという意義と責任があると思っています。

ぜひ手に汗握るモーグリとシア・カーンの決戦に加え、悲しくも幻想的な『白オットセイ』のお話も、お楽しみいただきたいと思います。


2015年8月19日水曜日

「青い鳥」と“ぶらさがりインデント”

名作と言われながらも、なかなかきちんと接する機会のない作品は、意外とあるものです。特に外国文学、それも児童文学と言われるものの場合には、邦訳書が手に入りづらかったり、手に入ってもかなりの抄訳であることが珍しくありません。

そうすると、オリジナルを読んでみたら、知っているものとストーリーが違っていた、などということも起こってしまうのです。そこまでいかなくても、作品としての印象や味わいが大きく違っている、と思うこともあるでしょう。

  
例えば「アルプスの少女ハイジ」を完訳で読むと、アニメでしか知らない人は、後半部分でのペーターの役回りの違いにちょっと驚かれるのではないでしょうか。

あるいは「ジャングル・ブック」が、オオカミ少年モーグリのお話は一部に過ぎず、そのほかにまったく独立したお話も入った短編集であることも、あまり知られていないのではないでしょうか。

さらにチルチルとミチルと青い鳥が出てくるということは知っていても、「青い鳥」のオリジナルは戯曲として描かれているということも、多くの人にとっては意外なことかもしれません。戯曲として読むと頭に舞台設定なども浮かびますし、基本的に会話のやり取りで話が進んでゆきますので、作品の印象がずいぶんと違ってきます。

《望林堂完訳文庫》では、もちろん文庫名の通り「青い鳥」を戯曲のまま完訳でお届けしています。ご覧なってお分かりかと思いますが、レイアウトも戯曲やドラマなどのシナリオ(台本)と同じ形式を取っています。このレイアウト形式を“ぶら下がりインデント”と呼びます。


普通のインデントというのは、文頭を一定のスペースだけ下げるというものですが、この“ぶら下がりインデント”というのはその逆で、文頭以外を一定のスペース下げるという特殊なものです。

実はこのレイアウトにするために、かなり苦労したのです。

翻訳したテキストデータは、そのままではKindleでは読めません。Kindleで読めるようにするには、一旦一般的な電子ブックデータ形式であるepubというフォーマットにしてから、さらにmobiというKindle専用のフォーマットに変換します。

このepubデータを作成する時に、章の指定やルビ付けなどを含めた全体のレイアウトを行うのですが、当初“ぶら下がりインデント”をどう指定すれば良いのか、なかなかわからなかったのです。

それでも試行錯誤を繰り返し、やっとKindle上でも再現することができました。これで「青い鳥」の完訳を、きちんとした戯曲風なレイアウトでお読みいただけることになったわけです。こういう雰囲気をきちんと味わうことも、とても大事だと思ったからです。

ぜひ、きちんと“ぶら下がりインデント”が再現された美しいレイアウトの中で、登場人物たちのやり取りの妙をお楽しみいただければと思っています。


2015年8月11日火曜日

プック(Puck)は男性?女性?

「ミツバチ マーヤの冒険」の第6章に、プック(Puck:英語読みだと“パック”ですがドイツ語読みに則ります)という“家バエ”が出てきます。このPuckの性別がちょっと問題です。

翻訳はオリジナルのドイツ語を英訳した「The Adventures of Maya the Bee」(Thomas Selzer Inc, 1922)を元に行っているのですが、そこでは 人称代名詞にheが使われていて、男性として扱われています。

ところがオリジナルのドイツ語から直接訳されたと思われる「みつばちマーヤの冒険」(世界名作文学集、国土社、2004)では、女性として描かれています。「彼女」という代名詞を使い、言葉遣いも女性的です。

原文にあたってみたところ、

Dann plötzlich duckte sie sich zusammen, so daß es aussah, als habe sie keine Beine.

と英語のsheにあたるsieが使われているので、女性だと思われるのですが、ではなぜ英訳版で男性になってしまったのかが謎です。

以下に、Googleの機械翻訳と上記英書の英訳部分を上げておきます。(太字での強調は筆者による)



Google翻訳:Then suddenly she crouched together, so that it looked as if she had no legs.

上記英訳書:Suddenly he ducked his head and squatted down, so that he looked as if he had no legs.

ちなみに日本のTVアニメ「みつばちマーヤの冒険」(1975-1976)に登場するPuckは男性。このアニメはヨーロッパでも人気があったせいか、ネットを見る限り、現在は一般的にはPuck=男性というイメージが強いようです。

ただし順番としては英訳が先(1922年)なので、それを採用してアニメのキャラクターも男性になったのかもしれません。


では今回の邦訳ではどうするか、ということになるのですが、英訳版の翻訳という基本的なスタンスに則れば男性ということになりますが、やっぱりオリジナルを尊重して女性として訳すべきか。悩みどろこです。